ワンネスな生き方
< 人間に生まれた意味 >
生物はどの様な形であれ他の生命エネルギーを頂かなければ生きていけません。
動物は食べる事で生命を維持しています。
同じ食べる行為でも「動物が餌をあさる」と「人が食事をする」では、全く違う意味と理解しましょう。
私達は「食べる」ことにおいても人間に生まれた意味を示す必要があります。
他の生物には出来ない「人間だけが出来る事をする!」そこに人間に生まれた意味と責任が隠されています。
地球上で「食べる」ことを喜びとして感じられるのは唯一人間だけです。
人は幸せな状態になり、宇宙に愛のエネルギーを放出する役目があります。
食材として私達にエネルギーを提供してくれる生物に敬意を示し、出来るだけ美味しく調理して、食べて喜びを感じ、幸せなエネルギーを放出する!
それが食物連鎖の頂点に君臨する人間が出来る感謝の在り方ではないでしょうか。
< 食材に敬意を示す >
全ての物に魂が宿る八百万の神信仰がある日本では古来より食材となる生き物にも敬意を示してきました。
主食の米を実らす稲には、春に豊作を祈り祈年祭(きねんさい)、秋の収穫に感謝して新嘗祭(にいなめさい)を行い、今も感謝を捧げています。
漁港には漁師の安全と大漁を祈願するための神社があり、海の神への感謝と共に獲れた魚の慰霊を行っています。
日本には北から南まで各地に食材となってくれた生命に対する感謝と慰霊の念を表す祭りや神事が存在し、日本人にとって「食べる」事は、単なる生命を維持する行為ではなく、その生物の生命エネルギー自体を頂き、我が物とする神聖な行為なのです。
一神教の諸外国は食べ物は信仰する神の恵みである為、神への感謝しか行いません。
先進国で食材となる生物自体に感謝や慰霊があるのは八百万の神信仰がある日本だけです。
< エネルギーを頂く >
四季がある日本は一般の家庭にも初物を食べる習慣があります。
その季節の初めに収穫される食材には「これから旬を迎えるための生気がみなぎっている」と考えられ、その特別なエネルギー食すことで、より生命力を得られ七十五日寿命が延びるという信仰まで生み出しています。
その食材の一番エネルギーに満ちた旬に頂くことが最も美味しい食べ方であり、どんな調理にも勝るご馳走です。もちろん旬の食材を心を込めて美味しい料理にすれば、旬のエネルギーに心のエネルギーまで加味されて、私達により活力を与えてくれる食事になる事は間違いありません。
< エネルギー変換をする >
料理というのは人間に与えられた感謝の表現方法です。
懐石料理やフランス料理に代表されるように今や料理は芸術の域にさえ達しています。
日本料理は素材の味を大切にした味付けで、見た目も美しく料理されています。
茶の湯から発達した懐石料理などは室内装飾や器で空間を演出し、四季の食材で自然を表現し、禅の心までをも表します。私達は懐石料理を食す事で、空間と自然を体内に取り込こみ、禅の心である壮大な宇宙観を理解しようとしているのです。つまり料理は凝縮された宇宙でもある訳です。
食材を芸術であり宇宙でもある料理をに変化させるなんて、食材に対する感謝を表現しているとしか思えません。それを食べれる私達はなんと幸せ者なのでしょう。
スピリチュアルな考え方にすると、人間は貴重な生命エネルギーを与えてくれる生物を料理という感謝で「宇宙」の状態に変化させ、それを食べて喜びを感じることで、幸せなエネルギーとして放出し、また宇宙に返している事になります。
この様に料理をスピリチュアルなものと捉えた場合、外食の懐石料理やフランス料理ではなく、自然の食材を使い、家族の健康を考え、愛情を込めて作られた家庭料理に最も強いエネルギーが籠っている様に感じます。
だから家庭料理は毎日食べても飽きず、美味しいのです。
その料理を家族で囲み楽しく食べれば、喜びも増し、家庭内に放出される幸せエネルギーも増え、心身共に健康を保てること間違いなしです。
< 食の尊厳 >
最近はライフスタイルの多様化でコンビニ食や冷凍食品や出来合いのおかずを買うだけで料理をしない方も増えています。スマホ片手に、食品添加物に塗れた、何から出来ているかさえ分からない物を食べています。
食材となる生物どころか、自分の健康さえ犠牲にする「食事」のあり方を見直さなければいけません。
ワンネスの法則は「宇宙の根源により創造された宇宙はそこに存在する全てが一つに繋がている」のです。
食べた事で健康になり、食べた事で喜びを感じることで、食材となった生物は生かされるのです。それが食の尊厳だと思います。
生命エネルギーを与えてくれた植物や動物たちに感謝を込めて「ご馳走さまでした!」