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​ カルマの意味を知る

私達が知っているカルマの概念は正しくなかった!

カルマの本当の意味を知ろう。

記 事 一 覧
スピリチュアルの基礎知識

< カルマの意味の誤解 >

最近のスピリチュアルではインドのヴェーダ思想である「カルマ」が仏教思想の「因縁」「因果」と混同され、現在の自分に起きている不幸は前世の「カルマ」によるものという説明がまかり通っています。

ニューエイジ思想の「カルマ」も仏教思想の因果応報と混同され、前世において自らの原因によって生じた結果や報いが今世や来世に影響すると考えられ、人生の課題は前世の「カルマ」によって決められており、その「カルマ」の解消のために自らの霊性を高めることが必要と考えられています。

「カルマ」が私達の運命までをも支配しているような考え方は「カルマ」の正しい意味を理解していないから起こる問題です。

「現在の自分に起きている不幸は前世の悪行によってもたらせている」という考え自体が、幸福と不幸・善行と悪行という二元論に囚われた思考なのです。

「カルマ」の正しい意味を知り、「前世の悪行が今世に祟るという」因果応報の考え方や、今の人生が前世の「カルマ」によって決められるているというニューエイジ思考からの脱皮することが必要です。


< カルマ思想の起源 >

紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで天啓によって編纂された宗教文書の「ヴェーダ」を基に、紀元前500年以降に確立されたインド哲学の「ヴェーダーンタ」の中の教えの一つして「カルマ [karma]」が登場します。

「ヴェーダーンタ」は古代サンスクリット語で書た哲学思想で、自由意思を使って選んで行う行為を「カルマ」と定義しています

つまり、自分の自由意思で選択してそれを行動に移すことで「カルマ」が発生する訳です。

これを仏教思想では「業(ごう):行為や所業、意志による活動」と言っています。

 

< 行為には結果が必要 >

カルマ(業)は「自由意思で行う行為」の総称なのですが、どうして他の意味まで加わってしまったのでしょうか。


「ヴェーダーンタ」には「この世のすべての事象は原因の中にすでに結果が包含されている」という教えがあり、原因があれば結果があるのが当たり前であり、原因は結果により完結すると考えられています。

自由意思で行う行為」で発生したカルマ(業)は原因であるため、必ず結果がを得て完結する必要があるのです。

また、カルマ(業)には時間概念が無いため、過去、現在、未来において結果を得るまでカルマ(業)は存在し続けます。

この事が、一度発生したカルマ(業)は、人間の輪廻転生において前世・今世・来世いずれでも結果出るまで付きまとうと考えられる様になり、さらに、ヴェーダーンタにも仏教思想にもある「因果(良い行為には良い結果が、悪い行為に悪い結果が訪れるという原因と結果の教え)」の概念が加味され、現在のようなカルマの説明になってしまいました。


< ワンネスの法則から見るカルマ >

本来のカルマ(業)とは「自由意思で発生した行為エネルギー」であり、カルマ(業)自体に善悪の二元論は無く、カルマ(業)を原因として得られる結果にも善悪という二元論はありません。

確かにカルマ(業)はその結果を得て完結しないと消滅しないため、過去、現在、未来においても結果を得られていないカルマ(業)は存在し続けます。

但し、前世で完結されなかったカルマ(業)が、今世の人生に大きく影響を与え支配するなどありえません。カルマ(業)は私達に付随し、ただ存在しているだけなのです。

ワンネスの法則では、人間は「自由意思」で守られています。「自由意思」を侵す事は何者にも出来ません。選ぶ権利は私達にあり、カルマ(業)には選択権が無いのです。

私達は常にその守られた「自由意思」を使い、今世においても新たなカルマ(業)をドンドン作り出しています。そして、何時作られた認識できないカルマ(業)をドンドン完結させているのです。

 

< 結果を得てこそ意味がある >

ワンネスの法則では過去・現在・未来という時間軸は重要ではありませんので、何時作り出されたカルマ(業)であるかは問題ではなく、結果を得てカルマ(業)が完結し、魂に経験として蓄積される事のみが重要なのです。

私達は「自由意思」で、様々なカルマ(業)を何時の世代で作り出しているか分からないくらい無数に作り出している上に、もともと善悪の二元論を持たないカルマ(業)を「現在の自分に起きている不幸は前世の悪行によってもたらせている」と悩んでも何の意味もないのです。

私達がやらなければならない事は「不幸」に感じているのは何故かを考察して、そこから気付きを得て「不幸」という感情を感謝に変えて手放す事です。

そうすれば何時の世代で作り出されたか分からない「自由意思で発生したカルマ(業)」のうちの何れかを結果を得て完結した事に出来る訳です。

< カルマの概念自体が不備と知ろう >

実は「ヴェーダーンタ」の「カルマ」の考え方にはもう一つあり、動くだけでも「カルマ」が発生するというもので、肉体の生理機能が働くだけでも「カルマ」が発生するとしています。つまり心臓が脈打つだけでも、息をしただけでも「カルマ」が発生するのです。
こちらの「カルマ」のは人の「自由意思」が介在しないため、結果は必要とされず完結もしません。ですから
仏教思想の「業」には含まれていない「カルマ」です。

私達が知っているカルマ(業)の概念自体が基になる「ヴェーダーンタ」から見れば不十分なものだったのです。

自分が「不幸」に感じていることをカルマ(業)のせいにするのが如何に的外れな事かお分かり頂けたことと思います。

私達はカルマ(業)という概念にとらわれるのを止め、今現在自分の身に起きている事を洞察し解決していくことが大切なのです。

今のあなたが真っ先に取り組むべき課題は「不幸」を解決し「幸せ」になる事です。

 

 

 

 


 

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